盈月炉心

「先触れは無いが、土御門殿に御目通り願いたい」
「土御門様は現在、諸用により不在です。お引き取り願います」
「『宮本伊織が、盈月の器を持ってきた』と伝えてくれ」
「……少々お待ち下さい」
 門番はそう答えると、門の中へと入っていった。暫くすると、一人の陰陽師が二人の前に現れ、寺の中に招き入れた。
 小さな部屋に通された二人は、カヤは興味津々であったが、伊織は、落ち着かないようであった。それから四半刻もしないうちに、部屋に面布を掛けた男が現れた。土御門泰広の弟だった。
 土御門は、伊織がセイバーに刺され命を落としたことは知っていたため、伊織の姿を見るなり喫驚した。土御門が落ち着いてから、彼は儀の顛末について情報の摺合せをしたいと云った。伊織は、儀のあとの自らの境遇を、包み隠さず話した。昨夜のことも話した。二人は黙って聞いていた。カヤは俯いていたが、絶句しているように思えた。
「土御門殿には、すまないが俺の死後、からだの回収と焼却をお願いしたい」
「焼却。火葬ですか。理由をお訊きしても?」
「昨夜の行動を鑑みると、俺の躯は魔力を欲している。俺の形そのまま埋めてしまえば霊脈の魔力を吸い続け、盈月として蘇るからだ。いて形をなくしてしまえば、復活することはないだろう」
「承知しました。伊織殿の御遺体は、火葬ののち散骨しましょう。妹御も宜しいですか?」
「……」
「カヤ。俺はこれ以上、江戸を巻き込みたくないんだ。分かってくれるか」
「散骨は、あたしも参加していいですか」
「えぇ、勿論」
「分かりました。よろしくお願いします」
 カヤは、深々と頭を下げた。
 二人が寛永寺を後にしようとするときに、土御門は、伊織が寛永寺に留まることを提案したが、伊織は固辞した。寛永寺は八百八町の中でも指折りの霊地だ。そこに居るだけで魔力を吸い上げている自分が嫌でも分かった。浅草にも大霊脈はあるが、伊織の長屋はそこまで霊脈の影響を強く受けない。寛永寺にいるより、浅草の長屋のほうが、自律できると考えた結果だった。
 伊織とカヤの帰路は殆ど無言だった。これを読んでいる読者諸君は既に御存知かもしれないが、煙による悪臭や、人を焼くという行為に対しての忌避感などの理由から、江戸で火葬が一般的になるのはもう少し後の時代になる。更に散骨は、基本的に罪人や、身寄りのない遺体に行うものだ。本人の意向とはいえ、伊織の躯が大罪人の様に扱われることに対してカヤの心情は計り知れない。伊織はそんなことは露知らずか、或いは感情を慮ってか、屋台で買ってきたという安倍川もちを与えるなどしていた。
 未の刻が終わる前に長屋の整理を殆ど済ませ、カヤが伊織の長屋から帰る直前、伊織は一つ頼み事をした。
「深夜、俺が外を出歩かないように、俺の手足を縛ってくれないか」
「……兄ちゃん、それ本気で云っているの? だいいち、縛る物なんて持ってないよ」
「工房拡張の素材として貯めていた荒縄があるだろう。カヤも沢山持ってきてくれた」
「擦れると痛いよ!?」
「手ぬぐいを挟めばいいだけだろう。頼む」
「うーん……」
 カヤは目を瞑って黙り込んだ。思ったより長い時間悩んで、ひとこと、わかった。と云った。
 伊織は手首と足首に包帯の要領で手ぬぐいを巻かれ、その上で荒縄で縛られた。鬱血の心配はないから荷物のように結んでいいとは伝えたが、流石にそう結ぶのはカヤの心が痛むらしい。完成した枷はしっかりと結ばれつつも少し余裕のある結び方になっていた。伊織は布団の上に横になった。
「見ただけだと、事件だねえ。これは」
「ああ、若旦那が見たら大笑いしそうだ」
「巴比倫弐屋にはあたしから連絡するね。それと、仕上げ」
 カヤは、結んだ荒縄に両の手をかざすと、縄が仄かに光った。伊織はその温かな光に魔力を感じた。
『すこしばかりですが、縄に強化の魔術を施しました。特殊な魔術ですから、伊織様が一つの縄を解くには四つ時ほどかかるかと』
「確かに見たことのない魔術だ。――凄いな。オトタチバナヒメ、協力に感謝する」
『どういたしまして。こう見えてあたし、神代の巫女なんですよ?』
「カヤも、ありがとう。付き合わせてしまってすまない」
「いいの。私がやりたくてやっていることだから。じゃあ、おやすみなさい。また明日ね」
「あぁ。また明日。おやすみ」