渇いている。飢えている。腹の内に収めんと欲している。夢遊の足取りで夜半の嬉の森を歩む。人がいる。五人。いやもっといる。野盗か? そんなことはどうだっていい。武器を持っている奴もいる。刀を佩いているのは、三人。やれる。
息を殺し、音もなく刀を佩いた一人に近づく。頚椎に強い衝撃を与えれば、死にはしなくとも暫く動けなくなる。倒れた男から刀を取り上げ、左肺に突き立てる。そして漸く危機を察知した他の男に向かって一閃。動きが遅すぎる。よくこんなもので荒事をしていたものだ。断末魔を聞いたのか、人が集ってくる。此奴等の仲間か?だったら斬るまで。
――俺の渇きを癒せ。
立ち向かってくる奴のなんと単純なことか。殺し甲斐がない。もっと強い奴はどこだ。俺の元へ集え。闘え。そして俺に殺されろ。
「ははははは、あはははははは」
刃向かってくる輩には人ならざるものもいる。あんな図体だから、鈍い。脆い。揃いも揃って弱すぎる。なんと脆弱なことか。今の俺は神秘さえ斬れる。これくらいじゃあ満たされない。割れた器を繋ぐ漆は、これっぽっちじゃあまだ足りない。
空が白んできたとき、宮本伊織が最初に見た風景は、足元に散らばる大量の肉塊と、数多の怪異の骸、そして全身に血を浴びた自身の姿だった。
流石にこの姿のままで長屋に帰るわけにはいかず、川で穢れを落とすことにした。深夜の出来事はあまり思い出せなかった。
「宮本伊織。貴様、睡眠を取ったな?」
水浴びをしている伊織に話しかけてきたのは、若旦那だった。
「このような姿ですまない。今、着替えてそちらに向かう」
「許す。お前はこのまま、返り血を流し清めておけ。それで、先程の問いはどうだ」
「確かに昨夜は長屋で横になった。それから空腹を感じて外に出て以降、記憶が曖昧だ」
「貴様が意識を無くせば盈月が体の主導権を握るのは明らかだろう。夜になれば盈月の魔力は活性化する。このままだと明日の朝を迎える前に怪異と化すぞ」
「俺はサーヴァントではない。流石に、睡眠は取らねばならないだろう」
「忘れるな。貴様はサーヴァント以前に人ではない。人の営みに必要なことは、貴様にとって必須ではない」
そういうものなのか。確かに腹は空いていない。食事も必要無いのだろう。自分が既に普通の人間ではないことを、改めて思い知った。
「俺が斬ったであろうモノの中に、怪異も混じっていた。怪異の大量発生は、儀の影響だと聞いていたが、これはいつまで続くのか?」
「知らん。しかし昨夜、貴様の元へ集った怪異は全て、貴様の呼びかけに応じたものだったぞ」
「――!」
「強者を喚び集め、己が手で殺す。全て貴様の願い通りではないか」
「若旦那は、俺が盈月の器になることを良しとしているのか?」
「昨日も云ったであろう。我は貴様の行く末を見届ける為に襤褸長屋を視ている。貴様の命などどうでもいい」
人が死ねば、盈月は力を取り戻す。俺の本質は、人を殺す。なれば行く末は一つしかない。しかし、そんなことになってもいいのか?
「……」
「何を考えている」
「俺は、自分が分からなくなってきた。もう未練は何もないと思っていたのに、刀を振ることを辞められない」
「今まで生きてきた理由を直ぐに否定するのは、雑種には難しかろう。だが、その考えは贅肉だな。雑種らしく精々悩み、思惟しておけ」
若旦那はそう云い残して、消えた。恐らく霊体化したのだろう。もうそろそろカヤが長屋へ来る頃だろうか。伊織は川から上がり、体表の水分を手で払った。
伊織が長屋に戻るとカヤが台所にいた。
「おはよう、お兄ちゃん。よく眠れた?」
「……まあまあだな」
自分の状況が見えるオトタチバナヒメならともかく、妹に余計な心配をさすまいと、言葉を濁した伊織だった。
「そっか。じゃあ朝餉の準備をするね」
「いや、その必要はない。なんというか、腹は減ってないんだ」
「それでもだめだよ、ちゃんと食べないと」
「……カヤ。俺は一度死んでいる。もう食事は必要無い」
「……そう、だったね。なんだか、淋しいね」
盈月の儀が終われば、凪いだ時間が戻るはずだった。無論、その時間を捨てたのは、他でもない伊織だ。
伊織は、カヤに自身の体調の変化について尋ねた。儀の最後まで現れることのなかったサーヴァントが、カヤに対して何らかの影響を及ぼさないか心配だった。しかし、伊織の心配とは裏腹に、十五騎目は以前から姿を現していたらしく、地右衛門によるカヤの拐かしのときには既に、一部の陣営にも知られていたことを教えられた。セイバーも十五騎目の存在を知っていたらしい。カヤは、案外自分の身に起きていたことをすんなり受け入れていた。カヤとオトタチバナヒメは馬が合うようで、昨夜は乙女同士の秘密の会話なんかもしたらしい。セイバーが聞いたら、羨ましいと云うだろうか。
「それで、お兄ちゃん。今日も長屋の片付け?」
「いや、今日はまず寛永寺へ向かう。カヤは長屋に残って道具の整理をしておいてくれ」
「それなら、あたしもお供します」
「無理について来なくてもいい」
「あたし、ずっとお兄ちゃんの世話をしていたのに、お兄ちゃんのこと全然知らなかった。お兄ちゃんがあたしに隠していたからかもしれないけれど。だから、できることならずっと一緒にいたいんです」
「行って楽しいものではないぞ」
「それでも、行きたいんです!」
たった一人の妹の願いに、伊織は折れた。行く途中で顔見知りに遭っても隠せるよう、伊織は笠を被り、人目を避けて寛永寺へと向かった。
盈月炉心
二次創作