盈月炉心

 伊織とカヤは、長屋の片付けを行うことにした。状態の良い本や道具は万屋に買い取ってもらい、魔術に関わる品々や怪異の素材は燃やすことにした。伊織は本の虫干しをするために縁側に本を並べていると、背後から声を掛けられた。
おぞましい姿になったものだな、宮本伊織よ」
「…… 若旦那か」
「なんだ。案外落ち着いているな。取り乱すような輩ではないと分かっていたが、つとに振切って化生と成ったかと」
 早々、不躾に見透かされたような言葉を向けてくる若旦那は、伊織にとって少々、いやかなり苦手な相手だった。面と向かって悪態をつくことのできるセイバーと違って、伊織は向こうの様子を窺い探ることしかできない。伊織の、隙のない圧倒的な強者に対してのくせだ。
「貴殿は退去したのではなかったのか」
「たわけ。顧客や商談を放り出して消える商人が何処にいる。退去の時期は我が決める」
「成程。それで、どういった御用向きで?」
「盈月の儀は幕を閉じ、殆どの英霊は退去したが、未だに盈月は稼働し、我と、貴様の妹に宿るサーヴァントだけが現界しておる。この意味が解らぬ雑種ではあるまい?」
「…… 盈月の器を完全に消失させるため。俺を殺す為か」
「はっ。雑種の命など我が手を下すまでもない。貴様の行く末を見届けるためよ。それに元来ルーラーのクラスは聖杯を見届ける役目がある。不粋なアンコールなぞ呆れを通り越して萎えるというものだが、折角の江戸での現界よ、長く居座ることができるのであれば乗ってやろうということだ」
 アンコールの意味は分からないが、若旦那の立場はあくまでも傍観者でありつづけるらしい。刀を持てない今の伊織では到底敵う相手ではないから、刃を交えることがなくて命拾いをした、と思った。
「して、もう決めたのか? 人として死ぬか、大厄災として生き続けるか」
「決まっている。俺は―― 人として死ぬ。セイバーが斬ってくれた命だ。未練などないさ」
 伊織は、若旦那の不機嫌でかつ、眼の奥が愉しそうに笑っている表情の意味を理解できないでいた。
「兄ちゃん、どうしたのー? ……って、わあ! 巴比倫弐屋の!」
「ほう、我が屋号を知っているのであれば話は早い。そう、我こそは絶対にして唯一の王、盈月に喚ばれし枠外のルーラー、そして縮緬問屋の若旦那である!」
「縮緬問屋?万屋ではなく?」
「そうとも云う」
「(そうは云わないだろう)」
 改めて、彼を形容する言葉が多いと思った伊織だった。カヤは、伊織と若旦那が顔なじみであることを疑っていたらしく、兄の交友関係に暫く驚いたのち、弔問に訪れたのかと問うた。伊織はカヤに、彼が盈月の儀の関係者であることを告げた。
「盈月の儀は終わった。それに伴い巴比倫弐屋は現在閉店前の大売り出し中よ。興味があるなら覗いてみるが良い。それと、娘よ」
「はい、なんでしょう」
「夜の間、とりわけ月の出ている間は宮本伊織から離れておけ。自分の兄に殺されたくなくばな」