宮本伊織は漂っていた。何処をと言われると、伊織には見当のつかない場所なので、分からなかった。星の見えないほど眩しい月夜の下、穏やかな波に揺られながら、何処かを漂流していた。
「やっと来たか。待ちくたびれたぞ」
白い装束を纏った人物が、漂う伊織の枕元に立っていた。伊織にはその人物に見覚えがあった。
「――セイバー」
「正しくは、きみに召喚されたセイバーそのものではない。アレは盈月に喚ばれた私の影法師だ。しかし、その呼び方でも構わないぞ。イオリ」
セイバーは微笑みながら伊織に手を差し伸ばす。
「俺は海の上に立つことなんてできないぞ」
「ここはお前の心象風景だ。おまえの意思で立つことも歩くこともできる。さあ、やってみろ」
伊織はセイバーの手を取り、おもむろに立ち上がった。水面に脚が沈むことは無く、難なく立ち上がることができた。それ程までの浅瀬、というわけでもない。心象風景。己が心の有様を具現化したもの。それがこの海なのか。
「できるものなのだな。セイバー、ここは俺の心象風景と云っていたが、具体的にはどういうところなんだ?俺はまた生き返ったのか?」
「ここは死者の集う場所。生きながら訪れることはできない場所だ。根の国、死後の世界――とは少し違う。ふふふ、聞いて驚くなよ。おまえは無事に英霊の座に登録された」
「英霊の、座」
「古今東西の英雄英傑が、死後人類史に刻まれる境界記録帯。それがここだ。宮本伊織――きみは他のきみが成した功績と、盈月の儀の働きを以て、英霊の座に招かれた、というわけだ」
他の俺が成した功績? 伊織が疑問に思うと同時に、頭の中に突如記憶の奔流が流れ込む。小笠原家に仕官し、島原の乱で功績を上げる自分、宮本武蔵の生涯を書き起こす自分――。走馬燈のような記憶の雪崩の中には、女武蔵と共にいる自分もいた。
「む、同期が始まったか? 恐れることはない。その記録は他のきみの人生だ」
「はあ…… これは、あれか。師匠が云っていた、同一人物だがやや別人のことか」
同じ人物でありながら、己と違う人生を歩んだ者。同じ人物の数多の歩みがあって、英霊・宮本伊織がいる。
「きみの人生には二天一流を修め、仕官するものもあったな。そして二十九歳の若さで筆頭家老! 流石は私を召喚したマスターだ。サーヴァントであった私も鼻が高い」
「そりゃあどうも」
「……十五年。たった十五年だ。それだけ遅く生まれてしまったせいで、きみは得るはずだった功績が手に入らなかった」
「生まれる時代を間違えた――。師匠にもよく云われた言の葉だ。だが、俺はそうは思っていない。俺は十五年遅く生まれたお陰で、セイバーという掛け替えのない存在に出会えた。それに、お前と駆けた盈月の儀は、十五年早く生まれた俺にはできない経験だ。寧ろ他の俺に自慢したいくらいだ。少なくとも、生まれた年については悔やんだり、嘆いたりはしない」
「なっ…… そういうのは面と向かって云うもんじゃない! 面映ゆいぞ」
セイバーは顔を真っ赤にした。想定外のことを云われて照れているようだ。
「まあ…… 盈月の儀を経て、剣鬼―― いや、兇剣となったきみは、他の人生を過ごしたイオリよりも遥かに強い。英霊としてのおまえの中心がきみなのも、宝具のひとつがあれなのも、きみだから為せたことだ」
宝具。英霊を英霊足らしめる奇蹟。
「俺だから為せたこと?」
「きみはムサシ以外にも師事していただろう」
「……なるほど、燕返し」
宮本武蔵の死後、霊巌洞に訪れた師匠の知己。彼に指南を受けて会得した初見確殺の秘剣。それが伊織の宝具となった。師匠には悪いと思うが、それもまた伊織の生きた証なのだ。
「英霊の座で、貴殿と再会できたように、師匠にも遭えるだろうか」
「逢えると思うぞ? 時間の概念は此処にはない。好きな時に訪れるといい」
「ところで、英霊の座に登録された俺は、これからどうなるんだ」
「やれることは沢山あるぞ! 往古来今の英霊と親睦を深めるも良し。新たな知見を得るも良し。サーヴァントとして召喚される際には、持ち出せる知識には限度があるがな。そうそう、サーヴァントといえば、近頃興味深い組織が定期的に召喚を行っているんだ。なんでも、その組織がある世界は、なんと人理が消滅してしまっているらしい。そして人理を救い、未来に繋ぐ為に数百の英霊を呼び寄せて従えているそうだ。なあ、イオリ。興味が出ないか?」
「ああ。――大いに興味ある」
盈月炉心
Webノベル